英検準1級単語ドリル 黒猫版



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第七話「共和政ローマとポエニ戦争」



古代のヨーロッパ。



現在の地中海とその周辺であるその地域を支配したのはローマという国だった。



ローマは紀元前8世紀にロムルスという王が建てたとされる。



ロムルス王は捨てられた後狼に育てられたという伝説があり、


「狼と人間の赤子」の像はローマのシンボルとなっていた。



fenrir



ロムルスの後6人の王が続いたが、7人目の暴虐な王を追放してローマは共和政となった。



王政の反省からか、この頃からローマ人には王政をとる他の国々との間に微妙なズレが生じていた。






ローマには他の国々と異なる様々な制度があり、


その制度と不屈の精神がローマを前代未聞の帝国にしたと言える。



まず第一に挙げられるのは元老院の存在である。



元老院は有力な貴族達によって構成され、共和政の初期は政治の全権を担った。



元老院議員は元々の有力者だけでなく、戦争で破った敵国の代表者もなる事が多かった。



敵の指導力を上手く取り込んで利用するためであったが、


当時ここまで敵国を上手く吸収する国は他になかった。



thousandeyesrestrict



第二に、元老院ほどの権力は持ち合わせていなかったが、平民は民会に参加する権利が与えられた。



民会においては護民官と呼ばれる代表者が選ばれ、度々国政に影響力を行使した。



しかし、平民の中に貴族とほぼ同程度の資産を持つ実力者が出てくるようになると、


元老院と民会の格差を解消すべく平民と貴族との間で争いが繰り返された。



この闘争は平民の勝利に終わり、民会で制定された法律は


元老院の承認を経ずして国法とする事ができるようになったのである。



第三に挙げられるのは分割統治制度。



ローマは征服した都市に対して待遇や税金面で差別をつけて、


都市が一致団結してローマに反旗を翻す事を防いでいた。



第四に、ローマの重装歩兵は他の国の歩兵と比べて格段に強力であった。



ローマでは脱走罪は死刑とされていた。



timidity



また、戦場で勇敢な働きをした兵士は表彰され大変な名誉とされていた。



thewarriorreturningalive



このような信賞必罰の徹底化がローマ兵の士気を高めていたのである。









このような制度を持ち強国となったローマは次第に周囲の国を取り込み、


紀元前272年ついにイタリア半島を統一した。



しかし、強国となったローマの目の前に船と貿易の国、カルタゴが姿を現した。



ローマはシチリア島を求め、カルタゴと戦う事を決めた。ポエニ戦争の幕開けである。



第一次ポエニ戦争にローマは勝利し、シチリア島を得た。



ローマにとっては初めての海外領土である。



しかし、第一次ポエニ戦争で負けたカルタゴは黙っていなかった。



当時の世界最強だった、アフリカのヌミディア産の騎兵を養成し、


歩兵を一掃する大型の象を戦争に組みこんだ。



gemelephant



そして、ローマ史上最大の敵であるハンニバルが登場するのである。



ハンニバルは自身の本拠地であるスペインを補給基地として


来るべきローマとの再戦に備えていた。



そして第二次ポエニ戦争が始まった。



ハンニバルは当時どの武将もなし得なかったアルプス山脈越えを果たし


北側からローマ領を荒らしまわった。



ローマは決戦を南イタリアのカンネーの平原で挑むが


ローマ軍は包囲され全滅する事になった。



afterthestruggle



この戦いが世界に与えた影響はとてつもなく大きかった。



現在でも欧米では軍士官学校で必ずこの戦いについて学習する。



決戦で敗北したローマは以後持久戦に回り、


名将ハンニバルとの直接対決を避け補給を断つ戦法でローマから退却させた。



第二次ポエニ戦争で勝利したローマは第三次で完全にカルタゴを滅ぼした。



かつて祖国を荒らされた恨みから、ローマはカルタゴ全住民を奴隷として売り飛ばし


破壊したカルタゴの都市に二度と作物が育たないよう塩をまいたと言われている。



eternaldrought



一つの国家を、存在した証拠を含めて消滅させるという事は今までにはなかった。



現在のカルタゴの遺跡は後の時代に再建されたものである。


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コメント

■ 

後半、
なんか悲惨ですね… 

あとマンモスばかりで遊戯王にはぞうのカードはあまりないすよね。

■ No title

>>CINDERさん


世界史は悲惨なのは結構ありますよ。


だから、この先もこんな内容のが出てくるかも?


楽しく読めるようにはしていきたいので、


気になったところ等あればコメントして下さい。

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